RAMO & KAMIOKA WEEKLY 第17号 / 2026-10-11

第十七号・小さな偏りの夜に

本号のテーマ 其の一 政治・飲食料品の消費税1%法案 / 其の二 社会・沖縄の米兵逮捕事件 / 其の三 科学・ノーベル化学賞に硤合憲三氏
其の一 ・ 政治・飲食料品の消費税1%法案

財布を置いて、定食を頼む

今週の一面 政府は10月9日、飲食料品の消費税率を現行の8%から1%に引き下げる関連法案を閣議決定した。2027年4月から2年間に限る「臨時的」措置で、1989年の消費税導入以来、税率の引き下げは初めてとなる。併せて、所得連動型の現金給付制度を2027年度に導入する方針も盛り込まれた。一方、2年間で約10兆円に上る財源の具体化は先送りされ、片山財務相は今後の予算編成の過程で示すと述べた。超党派の社会保障国民会議では与党の1%案に賛同が集まらず、野党は財源と給付対象の曖昧さを批判している。5日召集の臨時国会で、早期成立を目指す。 出典: 熊本日日新聞(共同通信配信) / 秋田魁新報(共同通信配信)
中島らも 中島らも

今週は、まず財布の話からいきます。……九日に政府が閣議決定してね。食べ物と飲み物の消費税を、八パーセントから一パーセントに下げる、と。来年の四月から二年間だけ。消費税ができて以来、税率が下がるのは初めてやそうです。……酒は今の八パーセントでも軽減の対象外やから、今度もたぶん外でしょう。俺のガソリンの値段は変わらん。知らんけどな。……俺はな、若い頃、スーパーの閉店間際に半額シールが貼られる瞬間を、猟師みたいな目で待っとった時期があってね。店員さんの手元だけを見とる。あの目つきを、このニュースで、ふと思い出しました。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

らもさんはそう言うけどね、半額シールは目の前の値段の話です。僕が気になるのは、その裏の勘定なんですよ。……食堂に入って、定食を頼んで、お勘定の段になって『財布は後で探します』と言う客を想像してください。今回、二年間で約十兆円といわれる財源の中身は、先送りです。財務大臣は『予算編成の過程で示す』と言うとる。つまり、先に食べてから、払い方を考える、と。……断っときますが、減税そのものの是非を、僕はここで断定しません。下げてほしい人が大勢おるのは事実やからね。けど、払い方を言わん定食は、客に出す前に、まず帳場に説明するもんなんです。

中島らも 中島らも

帳場に説明、な。……うちの店にもツケの客はおるよ。ただ、ツケにする客は、必ず『来月には』と言う。言わんツケは、俺は断る。……ただ、俺は税の仕組みを偉そうに語れる男やない。気になるのは、二年で終わるという決まりのほうでね。一パーセントの店で二年買い物をして、三年目に元の値段に戻る。……酒も、止めた日より、止めたあとのほうがしんどいんです。減税も、そうなんやないかと。……素人の勘ですけどね。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

そこは勘やのうて、構造の話です。一度下がった値段は、戻す時の痛みが、下げた時の喜びより大きい。これは経験則です。セールの最終日を想像してください。『本日で終了』の貼り紙があれば、客は走って買う。ところが翌日、元の値札を見た客は、前より高く感じるんです。人間は、元の値段やのうて、『安かった日の値段』を基準にしてしまう。……ですから、二年限定と言うなら、二年後にどうするのかを、いま言うておくべきや。超党派の会議でも、与党の一パーセント案に賛同は集まらなんだと伝えられとる。野党が財源の曖昧さを突くのは、当然の指摘です。

中島らも 中島らも

『安かった日の値段』が基準になる、か。……酒飲みには、痛いほど分かるわ。最初の一杯の値段は忘れても、『あの日は安かったな』だけは、なぜか覚えとる。……論戦は、これから始まるそうです。俺は、どっちの味方もせん。ただ、払い方は、客が帰る前に聞いときたい。それがバーの流儀ですから。……知らんけどな。

払い方を聞くのは、客が帰る前。それが勘定の、いちばん古い作法。

其の二 ・ 社会・沖縄の米兵逮捕事件

同じ形の言葉が、また並んだ夜に

今週の一面 沖縄県警は10月4日、在沖縄米軍の兵士を強盗殺人の疑いで逮捕した。報道によると被害者が亡くなっており、容疑者の刑事責任は今後の捜査と司法の場で判断される。高市首相は国会で「極めて遺憾」として米側に抗議し再発防止を求めたと報じられ、茂木外相も駐日米大使を呼んで抗議した。在沖米軍は48時間の活動停止を発表。7日には沖縄県の古謝玄太知事が首相官邸で首相らと面会し、「実効性のある抜本的な再発防止策」を要請、米軍の綱紀粛正や人権教育が機能していないと指摘した。首相は「残忍で凶悪」と述べ、日米間で協議を進める考えを示したが、沖縄政策協議会の開催時期は明言しなかった。 出典: 琉球新報 / 熊本日日新聞(共同通信配信)
中島らも 中島らも

今週は、軽い話から入れません。……沖縄で、アメリカ軍の兵士が、強盗殺人の疑いで逮捕されました。人が一人、亡くなっている。……俺は、事件のたびにテレビが『こうすべきだ』と即座に答えるのを見て、そんなに早う答えが出るかい、と思うてきた男です。今夜も、答えは持っとらん。ただ、ひとつだけ。人が亡くなった、という事実の前では、酒の話も、冗談も、今夜は引っ込めます。カウンターの灯りを、ひとつ落とさせてください。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

らもさん、今夜は僕も茶化しません。……まず前提を置きます。逮捕された兵士が罪を犯したかどうかは、これから司法が判断することです。容疑の段階で『犯人だ』と断じるのは、断定やのうて乱暴や。そして、沖縄にいる米兵が全員そうだ、という物言いも、論理として間違うとる。……そのうえで、僕が見るのは、事件の後に出てくる言葉の形です。首相は『残忍で凶悪』と述べ、米軍は四十八時間の活動停止を発表し、知事は抜本的な再発防止策を求めた。どれも必要な言葉です。けれど、よく似た形の言葉を、沖縄の人は、これまで何度聞いてきたでしょう。

中島らも 中島らも

何度聞いてきたか、な。……俺は沖縄の人間やないから、その数を数える資格はない。けど、若い頃、夜道で酔うて倒れとった俺を、見知らぬ人が、黙って家の近くまで運んでくれたことがあってね。名前も聞けんかった。……夜が安全やという感覚は、そういう、名前も知らん誰かの善意の上に載っとるもんです。それが、ある日、誰かの手で壊れる。壊されたほうは、昨日と同じ道を歩くのが怖うなる。……亡くなった方に、俺ができるのは、一杯注いで、飲まんと置いとくことくらいです。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

らもさんの話は、本質を突いとります。安全というのは、目に見えんインフラなんですよ。水道や電気は、止まったら誰でも気づく。けど、安心して夜道を歩けることは、壊れて初めて、あったことに気づく。……ですから論点を二つに分けます。ひとつは、この事件の真相と責任。これは司法の仕事で、時間をかけて、公正にやってもらう。もうひとつは、構造の問題。教育が機能していないという知事の指摘は、検証できる話です。誰が、どんな教育を、どれだけやったのか。公開で確かめる。……雨漏りのたびに、バケツを置いて『遺憾です』と言う。バケツの数は増える。けど、屋根の話が、いつまでも出てこない。僕が言うてるのは、それです。

中島らも 中島らも

屋根の話、な。……俺は、そこに口を出せるほど、物事を知らん。ただ、報道のほうにも、ひとつ頼みたい。被害に遭った方や、ご遺族を、必要以上に追いかけんでほしい。悲しみは、見世物にした途端、別のもんに化けてしまう。……今夜は、それだけです。答えは、まだ持っとらん。静かに飲みます。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

同感です。報道が『被害者のために』と言いながら、ご遺族の玄関に何十人も押し掛ける。あれは、報道のヘリコプターの爆音で、助けを呼ぶ声が聞こえんのと同じです。……見るべきは、事件のあとで、制度が本当に変わったかどうかです。三か月後、半年後、同じ記事を書かずに済んだか。それを確かめ続けるのが、見る側の務めなんです。これはもう決まってるんです。

注がれた一杯は、飲まれないまま置かれた。言葉より長く、そこに残るように。

其の三 ・ 科学・ノーベル化学賞に硤合憲三氏

ひと滴の偏りが、いのちを分けた

今週の一面 スウェーデン王立科学アカデミーは10月7日、2026年のノーベル化学賞に、東京理科大学名誉教授の硤合憲三(そあい・けんそう)氏らを選んだと発表した。授賞理由は、生成物自身が触媒となって同じ反応を促す「不斉自己触媒反応」(硤合反応)の発見。ほんのわずかな左右の偏りが反応のたびに増幅される現象を示し、生命を構成するアミノ酸が片方の型に偏っている謎の解明に手がかりを与えたと評価された。日本からのノーベル賞受賞は、2024年の日本被団協(平和賞)、2025年の坂口志文氏(生理学・医学賞)と北川進氏(化学賞)に続き、3年連続となる。東京理科大学は8日、硤合氏に栄誉教授の称号を授与すると発表した。 出典: 東京理科大学 / 熊本日日新聞 / 神戸新聞
中島らも 中島らも

一転して、嬉しい話を。……今週は、ノーベル化学賞に、日本の硤合憲三さんが選ばれました。東京理科大学の名誉教授。見つけたのは『不斉自己触媒反応』……舌を噛みそうな名前ですが、要するに、できた物質そのものが、次の同じ物質を作る手伝いをする、という反応だそうです。しかも、ほんのわずかな偏りが、回を重ねるごとに、どんどん増えていく。……聞いた瞬間に、俺は思いました。それ、酒やないか、と。最初の一杯が、次の一杯を呼ぶ。俺の人生の、自己触媒反応ですわ。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

らもさんはそう言うけどね、酒を化学に結びつけるのは感心せんけど、的は外してない。……ええですか。生き物の体を作るアミノ酸は、鏡に映した二種類のうち、ほとんど片方だけなんです。なぜ片方に偏ったのか、長年の謎でした。硤合さんの反応は、ほんのわずかな偏りが、自分で自分を増やして、大きな偏りになることを示した。……満員の劇場で、最初に手を叩く客は、ほんの一人です。その拍手が周りに伝わって、千人の拍手になる。最初の偏りはわずかでも、増える仕組みがあれば、世界は片方に傾く。いのちの謎の入口を、一人の化学者が、実験室の中で見せた。これは、お見事です。

中島らも 中島らも

最初に叩く客、な。ええ譬えや。……ただ、俺はひとつ気になってね。ニュースは、日本人の受賞が三年連続や言うて盛り上がっとる。それも嬉しいんです。けど、確か、硤合さんがこの反応を見つけたのは、今から三十年ほど前の話やそうです。……三十年。俺なんか、書いた翌週に評判が聞こえてこんと、不安で酒に手が伸びる人間ですから。待てる人は、強いなと思うんです。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

そこです。基礎研究というのは、芽が出るかどうか、本人にも分からんまま、種を蒔き続ける仕事なんです。成果が出る前に拍手する客は、まずおりません。……ですから、受賞の瞬間だけを騒ぐのではなく、芽が出る前の長い時間に、世の中がどれだけ水をやれるかが問われる。三年連続と数えて喜ぶのは構わん。けど、十年後、二十年後の受賞者は、いま誰にも注目されんまま、実験をしとるかもしれない。その事実を、忘れたらあきません。これはもう決まってるんです。

中島らも 中島らも

水をやる、か。……俺は水より酒をやる男やったから、育てるのは下手でした。……今夜は、硤合さんに、遠くから乾杯します。右手型でも、左手型でも、どっちでもええ。ええ酒は、どっち向きに注いでも、うまいですから。……知らんけどな。

最初の拍手は、たった一人。偏りは、いつも小さな場所から始まる。

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