RAMO & KAMIOKA WEEKLY 第4号 / 2026-07-05

第四号・あと一分の夜に

本号のテーマ 其の一 スポーツ・W杯 / 其の二 文化・囲碁 / 其の三 世相・メディア
其の一 ・ スポーツ・W杯

あと一分の、遠い一歩

今週の一面 サッカーW杯2026の決勝トーナメント1回戦(ラウンド32)で、日本代表はブラジルと対戦。前半に佐野海舟の代表初ゴールで先制したが、後半に追いつかれ、アディショナルタイム残り約1分で勝ち越し点を許して1-2で逆転負けし、ベスト16入りを逃した。試合後、森保一監督は涙ながらに「監督として力が足りず、すみません」と語り、去就にも言及。「世界のトップとの差は縮まっている」とも述べた。 出典: 時事ドットコム日本サッカー協会
中島らも 中島らも

前半に先制した、いうやん。佐野いう若いのが、世界の舞台で初めて点を取って。俺はそこだけで、もう胸がいっぱいになるんや。……で、最後のあと一分で、ひっくり返された。あと一分。俺な、この『あと』いう字が、いっちゃん苦手でね。『あと一杯だけ』『あと一日だけ延ばそ』。その『あと』で、俺は何十年もしくじってきた人間や。手が届きかけたもんが、指の先でするっと逃げる。あの感じは、勝負でも酒でも、いっしょやなぁと思て見てたわ。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

らもさんはそう言うけどね、僕が気にかかるのは、次の朝の言葉のほうなんです。『惜しかった』『感動をありがとう』。この『惜しい』が、いちばんたちが悪い。負けを負けと認めさせん、ようできた麻酔ですわ。僕はね、引退してから何年もマラソンを走った。四十二キロ走って、いっちゃんしんどいのは最後の百九十五メートルなんです。あそこで抜かれる。距離が縮まったからいうて、あの最後のひと踏ん張りは、別もんの遠さなんですよ。『近づいた』で満足したら、そこで止まる。これはもう、決まってるんです。

中島らも 中島らも

厳しいなぁ。でもな、上岡さん。俺はやっぱり、あの先制点の一瞬が忘れられへんのや。負ける試合の中にも、たった一回、ボールがネットに突き刺さって、日本中が同じ瞬間に飛び上がった。あれは、勝ち負けの帳簿には残らへん。けど、あの子の人生には、一生消えん光として残るやろ。俺みたいに、しくじってばっかりの人生でも、そういう一瞬が、数えるほどはあってな。それだけを頼りに、だらだらと生きてこられたんや。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

その一瞬は、僕も否定しません。ただね、監督が涙で『力が足りず、すみません』と頭を下げる。あれは日本的で、美しいようで、僕はいっこも感心せえへんのです。勝負は、勝つか負けるか。涙で払える借金やない。謝ってほしいんやのうて、どこが足りんかったかを、乾いた声で並べてほしいんですよ。『あと一メートルが遠かった、次はここを詰める』と。泣くのは、実は楽なんです。涙は誰の胸も打つけど、翌年の一メートルは一ミリも縮めてくれへん。世界との距離を詰めるのは、感動やのうて、その乾いた反省の一行なんです。間違いないですよ。

中島らも 中島らも

そやなぁ。……まぁ、選手らは選手らで、その乾いた一行を、もう心の中に書いてるやろ。俺ら茶の間の人間にできるのは、勝った時だけ手を叩いて、負けたらそっぽ向く、いうのをやらんことくらいや。あと一分、届かへんかった。その一分を、みんなでちょっとずつ分けて抱えたら、一人の重さも、少しは軽なる。……今夜は、その一分に、一杯やるわ。知らんけどな。

テレビを消しても、あと一分は、まだ茶の間のどこかに立ったままだった。

其の二 ・ 文化・囲碁

若さが、いちばんの一手

今週の一面 囲碁の第81期本因坊戦五番勝負第5局が7月1日に甲府市で打たれ、挑戦者の福岡航太朗七段(20)が一力遼本因坊(29)に白番中押し勝ち。対戦成績3勝2敗でタイトルを奪取した。20歳6カ月での戴冠は本因坊戦史上最年少記録で、福岡は同時に八段へ昇段した。 出典: NHKニュース日本経済新聞
中島らも 中島らも

二十歳で、日本一の碁打ちか。……ええなぁ。俺な、囲碁いうのはさっぱりわからんのやけど、あの、盤の前で何時間もじっと座って、頭の中だけで戦争してる、いう静けさに、昔から憧れがあってね。俺は逆や。じっとしてられへんから、酒飲んで、しゃべって、動き回って、体でぶつかっていくしかなかった。二十歳の頃の俺なんか、印刷会社で汗かいて紙を運んで、自分が何になるんかも、まるでわかってなかった。二十歳で盤の上に一生を彫り込む子がおる。まぶしいなぁ、ほんまに。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

らもさんはそう言うけどね、僕はこれ、若さそのものが武器やった、と見るんです。二十九のベテランを、二十歳が抜いた。世間は経験が勝つと思てるでしょ。逆なんですよ。経験いうのはね、時に鎧やのうて、重りになる。『前はこうやった』『こう来たら危ない』——その知恵が、いちばん大胆な一手を鈍らせるんです。自然界ではね、一万の種から、たった一つが芽を出して残る。残ったやつが、いちばん強い。優劣やない、それが摂理なんです。この二十歳は、一万の中から出てきた一粒でね。重りを背負う前に、いちばん軽い体のまま、頂上まで駆け上がった。これは決まってるんです。

中島らも 中島らも

上岡さんはすぐ強いほうを見るけどな、俺はどうしても、負けた二十九のほうに目がいってしまうんや。ついこないだまで頂点におった人が、自分より九つ下の子に、盤の上で追い抜かれる。あの夜、家帰って、どんな顔して飯食うたやろ、と。才能いうのはな、残酷なもんでね。誰かが咲く時、たいてい、隣で誰かが静かに散ってる。俺はそういう散り際のほうに、なんや、酒を一杯注ぎたなるんや。勝った子には、みんなが注いでくれるからな。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

その優しさは、らもさんらしい。ただ勝負の話に限れば、才能いうのは、土壇場でシュッと手が出るかどうか、それだけなんです。昔ね、漫画トリオの時分に、エレベーターに石原裕次郎と北原三枝が乗り込んできた。こっちは固まってる。そこでノックさんが、臆さずに『目ぇ、どうしはったんですか』と、スッと声をかけよった。ああいう、考える前に手が出る、あれが才能なんですよ。碁も一緒でね、最後の、いっちゃんしんどい一手を、迷わず盤に置ける。二十歳がそれをやってのけた。理屈やのうて、もう体が知ってるんです。こういうのは、教えて育つもんやない。間違いない。

中島らも 中島らも

教えて育つもんやない、か。……ええ言葉やなぁ、今日は。まぁ、俺らみたいな、とっくに手の出えへんようになった年寄りは、こうしてカウンターの隅で、若い子がシュッと一手置くのを、酒なめながら見とったらええんや。まぶしいて、ちょっと妬ましいて、で、やっぱり嬉しい。……その子の碁、いっぺん並べてみよか。ルールも知らんのやけどな。知らんけどな。

白い石がひとつ、盤の上で、まだ少し光っているように見えた。

其の三 ・ 世相・メディア

『見ないで』と言うて、見せる商売

今週の一面 テレビ東京の深夜番組「※女性は見ないでください」(MC・霜降り明星せいや)が炎上した。男性出演者が女性への本音や不満をぶつける構成で、「男性のほうが賢い」等の発言が切り取られてSNSで拡散し、「女性差別ではないか」「男女の分断を煽っている」との批判が噴出。7月2日の定例会見で吉次弘志社長は「真摯に受け止める」と言及し、番組は当初予定通り2回で終了した。「女性が愚痴る番組は許され、男女逆だと炎上するのはダブルスタンダードだ」との議論も広がった。 出典: スポニチアネックス(Yahoo!ニュース)ライブドアニュース
中島らも 中島らも

『女性は見ないでください』てタイトルの番組が燃えた、と。……俺な、この手の話を聞くと、いつも思うんやけど、本音いうのは、ほんまは、こういうカウンターの隅で、声ひそめて言うもんなんや。バーで酔うたおっさんが『いや、実はな』とぼやく。あれは、その場で消えていくから、許される。電波に乗せて、何百万人に一斉に配った瞬間、それはもう本音やのうて、商品やねん。俺、昔から思てるんやけど、本当のことて、たいていつまらんか、危ないかの、どっちかでね。だからみんな、そっと言うんや。大声で売り物にするようなもんやないんですよ。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

らもさんはそう言うけどね、僕に言わせれば、これは『燃えた』んやのうて、『燃やした』んです。深夜に、わざわざ『見ないでください』と札を下げる。見るなと言われたら、人間は見とうなる。切り取られてSNSで広がるとこまで、たいてい計算のうちなんですよ。手品と一緒でね。みんなが見てない隙にスプーンをギュッと曲げといて、さも今、目の前で曲がったように『ほら』と見せる。あの手つきが、いちばん賢い。攻めた番組や、いうて持ち上げる人もおるけど、攻めたんやのうて、そろばんを弾いただけです。テレビが映すと、本音も、差別も、みんな『芸能』になってしまう。そこが、いっちゃん怖いところなんですよ。

中島らも 中島らも

まぁな。……ただ俺は、毒そのものを全部消してしまえ、いう風潮も、どうも好かんのや。人間、腹の中では、しょうもないことも、ひどいことも、ようけ考えてる。俺なんか、その代表みたいなもんや。言うたらあかんことを、酒の勢いで何べん口走ってきたか。人間の弱さや、愚かさや、しょうもなさを、なかったことにはできへん。問題は、その毒を、こっそり吐く場所が、だんだん無うなってることでね。逃げ場のない毒は、いつか、もっと妙なかたちで噴き出すんちゃうか、と。それだけは、ちょっと心配やな。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

そこも、僕はちょっと違う見方をするんです。男の番組はダメで女の愚痴はええ、いうダブルスタンダードを言う人が多いでしょ。けどね、そこは本筋やない。いっちゃん肝心なのはね、叩いてるほうも、実は楽しんでる、いうことなんですよ。他人の火事でね、『けしからん、けしからん』と言いながら、しっかり手ぇ温めてる。作って燃やす側と、叩いてスッとする側は、同じ焚き火を囲んだ共犯なんです。番組が売ってるのは本音やのうて、その『怒る快感』のほうでね。それをみんな、タダやと思て、せっせと買うてる。これはもう、決まってることなんです。

中島らも 中島らも

……まぁ、そういうこっちゃな。言いたいことがあるんやったら、電波に乗せんと、こういうとこに来て、俺相手にぼそぼそ言うたらええんや。誰も聞いてへんし、朝には忘れてる。それくらいが、本音のちょうどええ湿り具合やと思うけどな。さ、そろそろ看板や。今日のところは、この店の中だけの話に、しとこか。……知らんけどな。

看板の灯が落ちて、この店で吐かれた本音だけが、誰にも拾われずに、静かに消えていった。

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