第七号・十年目の夏に
役に立つ、で人を測るな
十年か。……あの日、テレビで数字を見た時のことは、よう覚えてる。十九人、いう数字が先に来てね、名前がなかなか出てこんかった。……俺な、昔、躁鬱で病院に入っとったことがあるんですよ。閉じた病棟でね、いろんな人がおった。一日中、壁に向こうて同じ歌を歌てる人。廊下を端から端まで、歩数を数えて往復しとる人。で、俺は最初、その人らを見て、心のなかで線を引いたんです。自分は違う、と。俺は自分で酒を流し込んで、自分で呼び寄せた病気や、あの人らとは別や、と。……あれが、俺の人生でいっちゃん卑しい気持ちやったな。人間いうのは、しんどい時ほど、自分より下を探して安心しようとする。あの芽はね、俺のなかにも、ちゃんと生えとったんですよ。
上岡龍太郎 らもさんはそう言うけどね、僕はその芽を「誰の中にもある」で終わらせたら、あかんと思てるんです。ええですか。あの事件がいっちゃん恐ろしかったのは、刃物やない。「役に立つか、立たんか」いう物差しを、一人の人間が最後まで本気で信じてしもたことなんですよ。ところがね、その物差しは、あの男が発明したもんやないんです。世間が毎日使てるやつです。生産性がどうの、費用対効果がどうの、と。学校でも会社でも、朝から晩まで人を並べて測ってる。あの男は、みんなが使てる物差しを、いちばん端まで伸ばしただけなんです。せやから「特別な狂人がやったこと」で片付けてしもたら、物差しのほうは、そっくり残る。僕はね、芸人いうのは落ちこぼれやと思てます。社会のはみ出し者です。役に立つか立たんかで人を並べる世の中になったら、いっちゃん先に捨てられるのは、僕らみたいな人間なんですよ。他人事やないんです。
物差しのほうが残る、か。……この事件でな、亡くなった方のご家族が、長いこと名前を出せんかった、いう話があるやろ。人が十九人殺されて、その人らに名前があった、いうことすら、この社会はすんなり受け止められへんかった。あれが、俺にはいちばんこたえたんですよ。……人が一人死ぬ、いうのは、ほんまはとんでもない量の話でね。その人が好きやった食いもんとか、笑う時に鼻がふっと鳴る癖とか、朝いちばんに見にいく窓の外の景色とか、そういうもんが、いっぺんに、全部消えることや。それを「十九人」いう一かたまりに丸めた瞬間に、こっちは、なんや息がしやすうなる。……人は、息がしやすいほうへ流れるからな。俺は、その楽さのほうが怖いんですよ。
上岡龍太郎 そこですよ、らもさん。数に丸める、いうのはね、そのまま「わからんでええ」いう合図なんです。ええですか、僕が長いこと人前で喋る商売をやってきて、一つだけはっきり言えることがある。人間は、顔と名前を知ってる相手のことは、そう簡単には切り捨てられへんのです。逆に言うたら、切り捨てたい時ほど、人は相手の顔を見んようにする。差別いうのは、憎しみから始まるんやない。「見んようにする」ところから始まるんですよ。障害のある方が「困った人、いう眼鏡で見んといてくれ」と言うてはる。あれはね、ものすごい、まっとうな注文です。眼鏡を外せ、と言うてるんやない。自分が眼鏡をかけてることに気づけ、と言うてる。十年たって、追悼式で花を手向けるのは、そら結構です。けどね、花より先にやることがある。いっぺん自分の眼鏡を外して、素の目で人を見ることですよ。これは、決まってるんです。
自分の眼鏡に、気づく、な。……俺はね、優しい人いうのは、強い人やと思てるんですよ。弱った人間には、他人に優しゅうする余裕がない。せやから「優しくしなさい」と言うだけでは、たぶん足らんのや。人が優しいままでいられるだけの余裕を、社会のほうが持っとかなあかん。それは根性の話やのうて、仕組みの話やと思う。……今日はな、いつもの軽口はよそうか。ご遺族の十年に、俺らが横から足せる言葉なんぞ、あらへん。せめてこの店では、誰が来ても、ちゃんと名前で呼ぶことにするわ。俺にできることは、それくらいしかない。
十年目の夜。カウンターには、誰も座っていない席がひとつ、静かに空けてあった。
安うなった国の、高い買い物
アメリカが、また関税を上げよったな。日本の分は十二・五パーセント。ほんで、同じ日に円が一ドル百六十三円台の後半、三十九年ぶりの安値やと。……俺みたいな商売の人間にはな、こういう話は、数字より先に棚でわかるんですよ。この店の棚に並んどる酒、あれ、ほとんど海の向こうから船に揺られて来た子らでね。仕入れの紙が来るたんびに、じわじわ値ぇが上がっとる。同じ一本が、去年とはちょっと違う顔して届くんです。中身は一滴も変わってへんのにね。……為替いうのは、要するに、こっちの一日が向こうから見てなんぼか、いう話やろ。働き方も、飲む量も、なんも変えてへんのに、いつの間にか自分の一日が安うなっとる。これ、なかなか妙な気分ですよ。
上岡龍太郎 らもさんはそう言うけどね、僕はそれを妙な気分で済ませへんのです。ええですか、為替と関税いうのはね、川と同じなんですよ。この国は、ずーっと川下に住んでる村です。上流のいちばんでかい家が、ダムの水門を握ってる。向こうがその日の都合で門を開けたら洪水、閉めたら干上がる。村がなんぼ真面目に田を耕したかて、流れてくる水の量は、村の努力とは一切関係ないんです。今度の関税かて、看板の理屈は「強制労働への対策が足らん」ですよ。理屈は毎回どうにでもこしらえられる。要は、水門はこっちが握ってるぞ、と見せることが目的なんです。円が三十九年ぶりに安い、いうのもね、日本人が急に怠け出したわけやない。世界がこの国を測る目盛りのほうが変わっただけです。ここで肝心なのはね、水門を恨むことやない。「うちは川下の村や」と、はっきり認めることなんですよ。認めた者だけが、自分の井戸を掘る算段を始められる。これは決まってるんです。
自分の井戸を掘る、か。……ただな、上さん、川下の村には村の暮らしがあるんですよ。関税が何パーセントや、いう話は、新聞の一面ではえらい大きい活字やけど、うちの常連の話は、もっと小そうてね。この前来た町工場のおっちゃんが言うとった。「うちが削っとる部品は、向こうの機械の奥のほうに入っとる。それが十二・五パーセント高うなったら、どっかが痩せる。まぁ、うちや」と。ほんで、笑うてビールをもう一杯頼んで、帰りよった。……あの笑い方がな、忘れられへんのですよ。えらい人が、世界地図の上で線を引くやろ。あの線はな、いっつも、いちばん細いところで切れるようにできとるんです。
上岡龍太郎 その通りなんです。線を引く人間は、どこで切れるかを見てへん。ここが肝でね。僕が言いたいのは、「安い国」いうのは値札の話やない、いうことです。安い、いうのは、買われる側に回る、いうことなんですよ。円が安いと、外国のお客が喜んで来る。土地も、会社も、向こうから見たら半値の札がぶら下がってる。それを「にぎわってええですなあ」と喜んどる間に、だんだん、自分の店が自分の店やのうなっていくんです。昔この国は、安うて丈夫、いうのを武器やと教わりました。ところがね、安さいうのは、こっちが決めた強みやのうて、向こうがつけた値札なんですよ。値札を強みと勘違いした国は、必ず値切られる。間違いない。
値切られる、な。……まぁ、俺は自分の値打ちなんぞ、とうに値切られ倒してきた男やからね。原稿料も、肝臓も、そら安いもんですよ。ただ、あれやな。安うなった時に、いちばん先に手放すもんを間違えたら、あかんのやろな。値段のつくもんは、また稼いだらええ。値段のつかんもんを先に売ってしもたら、もう戻ってけえへん。……この店の氷の削り方とかね、そういうしょうもないやつのことですよ。知らんけどな。
一ドル百六十三円。棚の外国の酒が、今夜また少しだけ、遠くなった。
連帯責任という、大人の発明
青森山田の子らが、寮で酒とタバコやって、十数人が処分された、いう話やな。……俺はな、この手のニュースで、真っ先に「けしからん」と言う役だけは、よう引き受けんのですよ。なんでか言うたら、俺自身が、十七の時にうまいこと見つからんかっただけの人間やからです。あの頃から、そら飲んでました。人より先に酒の味を覚えて、その先四十年ぶん、酒に人生の半分ほど持っていかれた男が、ここで胸張って説教できるかいな。……ただ、一つだけ正直に言うとくわ。隠れて飲む酒はな、うまいんですよ。あれは、ほんまにうまい。うまいから、この手の話は、この先も絶対に無くならへん。「なんで飲んだんや」と怒る大人はな、たいがい、その味を自分でも知っとるんです。知っとって、聞くんですよ。
上岡龍太郎 らもさんはそう言うけどね、僕は今度の一件は、酒の話やと思てへんのです。ええですか、僕は弟子に礼儀作法を教える気は、はなからありませんでした。芸人になろかいう人間が、時間を守るはずがない。守れる人間は、そもそも堅気の勤めに行ってるんです。せやから遅刻は許す。ただし、言い訳が面白かったらの話ですよ。「来る途中、信号が全部赤でした」──もういっぺん考え直してこい。「向かい風がきつうて」──おる。それは許す。つまりね、僕が見てるのは遅刻やのうて、その人間の頭の使い方なんです。今度の件も同じでね。十七、八の子が寮で酒を飲む。そら、ありますよ。肝はそこやない。学校が「これは個の責任や」と言うて、やった者は出さん、チームは大会に出す、と線を引いた。あの線を、大人が自分の口で、汗かいて説明できるかどうかなんですよ。説明できるんやったら、堂々と出したらええんです。
線の引き方を、自分の口で説明する、か。……昔から不思議やったんはな、こういう時に必ず出てくる「連帯責任」いう言葉ですよ。一人しくじったら、全員で大会を辞退する。あれ、いったい誰のためにやっとるんやろな。ようよう見たらな、罰を受けた側やのうて、罰を出した側が、いちばん楽になっとるんです。「うちはこれだけ厳しゅうやりました」いう紙が、一枚できるからね。……俺はあの紙が、どうも好かんのですよ。人が実際にやったことより、紙のほうが偉うなってしまう。まぁ、飲んだ子らはな、今ごろ生きた心地せんやろ。しくじった晩に、布団の中で天井をじーっと見とる、あの時間な。あれはあれで、たぶん、どんな説教よりよう効くんですよ。
上岡龍太郎 効きます。効きますけどね、らもさん、そこで大人が黙ってたらあかんのです。ええですか、今度の学校の判断は、僕は筋が通ってると見てます。やった者は出さん、やってへん者は出す。当たり前のことを、当たり前に決めただけです。ところが世間はね、こういう時に必ず「全員辞退せえ」と言い出す。あれは正義やない、見物なんですよ。全員が泣いて頭を下げる画が見たいだけです。日本のテレビにヒューマニズムはない、あるのはヘンなセンチメンタリズムやと、僕は言い続けてきました。人の悲惨さを、みんなで少しずつ味わって楽しみたいんです。六度も日本一になった看板を引きずり下ろす時の、世間の顔つきをご覧なさい。楽しそうでっせ。罰は、学校が決めたらええ。世間が代わりに罰をこしらえ始めたら、それはもう教育やない。見世物です。決まってるんですよ。
見世物、な。……まぁ、俺はその見世物の、いちばん安い席に座って、ちびちびやっとる口やけどな。ただ、あの子らに一つだけ言うことがあるとしたら、「酒はあかん」やのうて、「あんたら、まだ十七やろ。そない急がんでええ」いうことくらいですよ。酒はな、逃げも隠れもせえへん。二十歳になったら、ちゃんとそこにおる。……俺は急ぎすぎて、四十年ぶんを前借りでまとめて飲んでしもた口やから、あんまり参考にはならんけどな。知らんけどな。
隠れて飲んだ酒の味は、たぶん誰も忘れない。忘れないから、大人は少しだけ声が大きくなる。