RAMO & KAMIOKA WEEKLY 第9号 / 2026-08-09

第九号・二度、黙祷した夏に

本号のテーマ 其の一 社会・被爆81年 / 其の二 政治・消費税 / 其の三 スポーツ・世相
其の一 ・ 社会・被爆81年

八十一年目の、同じ時刻に

今週の一面 8月6日、広島市の平和記念公園で被爆81年の平和記念式典が営まれ、原爆投下時刻の午前8時15分に参列者が黙とうをささげた。政府代表団を送った国・地域は123とEUで、過去最多となった。松井一実市長は平和宣言で、11月に始まる核兵器禁止条約の第1回再検討会議に日本政府がオブザーバー参加し、早期に条約を批准するよう求めた。式典には高市早苗首相が参列した。9日には長崎市の平和公園で被爆81周年の平和祈念式典が開かれ、98か国とEUが参列。鈴木史朗市長は被爆者の言葉を引きながら、相互不信と分断が深まる世界情勢に危機感を示し、「核兵器と人類は共存できない」と訴えた。 出典: NHKニュース広島市沖縄タイムス長崎市
中島らも 中島らも

八月六日と、九日。広島が八時十五分、長崎が十一時二分。今年で八十一年ですよ。広島の式典には、百二十三の国と地域、それにEUが代表を寄越した。過去いちばん多い。長崎にも九十八か国が来たそうや。……で、俺は先に正直なことを言うとくけどね、俺は昭和二十七年の生まれで、戦争を知らんのです。子供の時分に、夏になると学校の講堂へ集められて、被爆した人の話を聞かされた。扇風機が首を振っとるだけの、蒸し風呂みたいな講堂でね。……正直に言うと、退屈やったんですよ。早よ終わらんかな、と思とった。ところがな、おかしいのは、その退屈やったことのほうを、六十年近う経った今でも覚えとることでね。話の中身より、汗の匂いと、扇風機の音のほうを覚えとる。……人間はな、たぶんそうやってしか受け取れんのですよ。ちゃんと受け取れんかった、という形で、受け取ってしもてる。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

らもさんはそう言うけどね、僕はその退屈こそが、いちばん上等な財産やと思てるんです。ええですか、非常口の緑の灯りいうのがあるでしょ。劇場でも駅でも、いっつも点いてる。誰も見てへん。芝居の最中に非常口ばっかり見つめとる客がおったら、そらアホですよ。ところがね、あの灯りが消えとる建物で火が出た日には、何十人と死ぬんです。式典いうのは、あの緑の灯りなんですよ。毎年おんなじ時刻に、おんなじ場所で、おんなじことをやる。退屈で結構。派手にする必要はない。ただ、点いとることに値打ちがあるんです。ほんでね、今年は百二十三の国が広島へ来た。過去最多です。世界が良うなったから来たんやない。きな臭うなったから来たんですよ。非常口を確かめに来る客が増えた、いうのはそういうことです。決まってるんです。

中島らも 中島らも

非常口の灯り、な。……ただな、上さん。俺には一つだけ、どうにも収まりの悪いことがあってね。八十一年ですよ。九十を越えた人が、マイクの前で、自分の口で喋る。あれをあと何年見られるんやろな、と思て。……この商売を長いことやっとるとね、常連が一人ずつ消えていくのを見るわけです。最初は、来る回数が減る。次に、噂だけが聞こえてくる。ほんで、ある日から、誰も何も言わんようになる。人が消えるいうのは、そういう静かな消え方をするんですよ。爆発みたいには消えへん。……長崎の市長さんが、被爆した人の言葉を引いて『核兵器と人類は共存できない』と言うたそうやけどね。……言葉を引く、いうのはな。もう本人に喋ってもらえん時期に、こっちが入ってしもた、いうことでもあるんです。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

そこは僕、はっきり言いますよ。喋る人がおらんようになった時に残るのは、記録と、仕組みだけです。感情は必ず薄なる。これは人間の性能の問題やから、しゃあないんです。せやからこそ、仕組みの話をせなあかん。広島の市長さんは今年も、政府に対して、十一月から始まる核兵器禁止条約の再検討会議へオブザーバーで出てくれ、早よ批准してくれ、と言うた。今年『も』です。毎年言うてる。ええですか、毎年言わなあかんいうのは、毎年やってへん、いうことなんですよ。世界で唯一あれを落とされた国が、八十一年目の夏になっても、あの部屋の外に立ったままでいる。事情はいろいろあるでしょう。人の傘の下におる、いう事情もある。けどね、事情のある話ほど、言葉やのうて、席で示すもんなんです。座ってるか、座ってへんか。話はそれだけですよ。

中島らも 中島らも

座ってるか、座ってへんか、か。……厳しいこと言うわ、あんた。まぁ、俺にできることなんぞ、たかが知れとるけどな。……今日の十一時二分な、うちの店はまだ開いてへん時間ですよ。それでも仕込みの手ぇを止めて、一分ほど、なんもせんとおった。誰も見とらんところでやる黙祷いうのは、案外、居心地の悪いもんですなぁ。格好もつかんし、誰も褒めてくれへん。……ただな、居心地が悪いくらいで、ちょうどええんちゃうかなと思て。夏はまだ続く。今日はそれだけにしとくわ。

八時十五分と、十一時二分。夏の朝の二つの時刻だけが、八十一年、動かずにそこにある。

其の二 ・ 政治・消費税

二年で終わる、優しさの話

今週の一面 政府は8月5日の臨時閣議で、食料品にかかる消費税率を2027年4月から2年間に限り8%から1%へ引き下げる方針を決定した。残る1%相当分は中低所得者への現金給付(年6000億円規模)と組み合わせ、家計の負担を「実質ゼロ」にするとしている。2029年4月には8%へ戻す想定。2年間で約10兆円規模の減収が見込まれ、政府は赤字国債に頼らず租税特別措置や補助金の見直しなどで財源を確保するとし、外国為替資金特別会計の活用案も浮上している。1989年の消費税導入以来、初の税率引き下げとなる。与党税制改正大綱は9月に決定し、関連法案は秋の臨時国会に提出される見通し。 出典: 時事ドットコム日本経済新聞日本経済新聞
中島らも 中島らも

五日の閣議で、食料品の消費税を一%に下げる、いうのが正式に決まったらしいで。来年、二〇二七年の四月から。ほんで、これが二年限定や。二年経ったら、また八%に戻る。足りん一%分は、中くらいから下の所得の人に現金を配って『実質ゼロ』にする、と。……なぁ、俺はコピーライターを長いことやっとった人間やからね、『実質』という二文字を見ると、体が勝手に身構えるんですよ。あれはな、書く側がいちばん助かる言葉なんです。嘘は書いてへん。書いてへんのやけど、勘定書だけは別の部屋に置いてある。……昔な、『今だけ半額』いうコピーを書かされた店があってね。その『今だけ』が三年続いたんですよ。あれは我ながら名コピーやったな。誰も文句の言いようがなかった。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

らもさんはそう言うけどね、僕はこの『二年』というところを、いちばん睨まなあかんと思てるんです。ええですか、化粧品の試供品を配るでしょ。小さい袋に入って、ええ匂いがして、使うてみたら肌の調子もええ。ところがあれはね、配る側が損してるんやないんです。配ったあとで現物を買わせるために配ってるんですよ。今度のはそれとよう似てる。二年、一%で暮らしてもろたら、人間の舌は必ず変わります。ほんで二年後に八%へ戻す──あれはね、はっきり言うときますけど、増税なんです。『元に戻すだけです』と言うでしょう。言い方の問題やない。台所から見たら、値段が八倍になるんです。減税を決めるのは誰にでもできますよ、反対する人間がおらんのやから。難しいのは戻すほうです。二年後に戻す判断ができる人間が、その時に総理の椅子に座ってるかどうか。僕に言わせればね、今度の閣議で決まったのは減税やない、二年後の宿題なんです。

中島らも 中島らも

宿題、な。……ただな、上さん。理屈は理屈として、うちに来る連中の話もしとくとね。この前、子供が三人おる常連の女の人がぼやいとった。米と卵と牛乳、それだけ買うても、一週間の勘定が去年と全然ちがう、と。ほんで最後にこう言いよったんですよ。『贅沢したいわけやないねん。ふつうにしたいだけやねん』と。……ふつうにしたいだけ、いうのはね、なかなかこたえる言葉でしたよ。二年限定やろうが実質ゼロやろうが、あの人にしたら、来年の四月から卵がちょっと安なる、という話でね。テレビで十兆円がどうのと言うてる横で、卵の値段の話をしとるんです。どっちが本当かいうたら、俺は卵のほうが本当やと思うけどな。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

それは僕も認めます。卵は本当です。ただねらもさん、その本当の話を人質に取るのが、政治のいっちゃん上手いところなんですよ。誰も『卵が安なるのは困る』とは言えん。言うた途端に悪者ですから。せやから、その後ろに置いてある勘定書のほうを、誰も見んようになる。二年で十兆円ほど税収が減る。赤字国債は出さん、租税特別措置や補助金を見直して工面する、と言うてはる。結構です。ほな聞きますけどね、どの補助金を切るんですか。どこの誰が損をするんですか。そこを言わんまま『工面します』いうのはね、宴会の座敷で『今日は僕が持ちます』と言うて、財布の中身を確かめてへんのと一緒なんです。その場の気分はええ。あとで揉めるだけです。消費税を入れて以来、初めての減税やそうです。歴史的なことですよ。歴史的なことほど、勘定は後から来るんです。間違いないんです。

中島らも 中島らも

勘定は後から来る、か。……こら耳が痛いわ。俺は勘定を後回しにすることだけで、ここまで来た男やからね。楽しいほうを先にやって、体のほうに後から請求が来る。あれ、必ず来るんですよ。しかも利子つきで。……まぁ、来年の四月に卵が少しでも安うなるんやったら、その日はうちも玉子焼きの一皿でも出すか。二年後のことは、二年後の俺が考えたらええ。……ちゅうのが、いちばんあかん考え方やというのは、この世で俺がいちばんよう知っとるんやけどな。知らんけどな。

二年という期限だけが、まだ誰の手にも渡らないまま、勘定書の隅で静かに待っている。

其の三 ・ スポーツ・世相

裁く人が、裁かれる夏

今週の一面 第108回全国高校野球選手権大会が8月5日、阪神甲子園球場で開幕した。昨年に続く夕方開会式に加え、猛暑対策として朝夕2部制が10日間に拡大され、ビデオ検証も初めて導入された。今大会では女性審判員5人が全国大会で初めて起用され、開幕試合では埼玉県の中学校教諭・森田真紀さん(49)が二塁塁審を務めた。春夏の甲子園で女性が審判を務めるのは初めてで、試合後は「みんなに支えられて無事に終われた」と声を震わせた。一方、大会3日目の試合では女性審判員の二塁での判定をめぐりネット上で批判が広がり、「性別ではなく技術で評価すべきだ」との声も上がるなど、議論となっている。 出典: 時事ドットコム日本経済新聞NHKニュースライブドアニュース
中島らも 中島らも

甲子園が五日に開幕してね。今年はえらい変わったことが二つあって、一つは朝と夕方の二部制が十日間に広がった。昼のいちばん暑い時間に、子供に野球をさせるのはやめとこ、と。もう一つは、女の審判が五人、全国大会に初めて入ったことです。開幕試合の二塁で塁審を務めた人は、埼玉の中学の先生で、四十九、子供が二人おるお母さんやそうな。試合が終わったあと、声が震えとったらしい。『みんなに支えられて、無事に終われました』て。……俺はな、この『無事に終われました』が、妙に耳に残ってね。うまいことやりました、やないんですよ。無事に終われました、や。……初めて何かをやる人間の口から出てくる言葉いうのは、たいていこれなんです。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

らもさんはそう言うけどね、僕はその一言で、もう答えが出てると思てるんです。ええですか、店を開けたばっかりの時分は、表に花輪が並んでるでしょ。あの花輪が枯れるまではね、誰も味の文句を言いませんのや。『おめでとう』で済んでしまう。ところが花輪を片付けた途端に、客は普通の顔をして『ここ、辛いな』と言い出す。そこでやっと、店になるんです。審判もおんなじですよ。今度、大会の三日目に、女性の審判の二塁の判定を巡って、外野がえらい騒ぎになった。ほんで出てきた声が『性別は関係ない、技術で評価しろ』やと。……僕に言わせればね、それをわざわざ口に出す人間ほど、性別を見てるんですよ。技術だけ見てる人間は、そんなことは言いませんのや。ええですか、本当に関係ない時いうのは、誰も何も言わんのです。

中島らも 中島らも

そら、そうやな。……この商売でも似たようなことがありますよ。新しい子がカウンターに入るとするやろ。その子がグラスを一つ割った時の、常連の顔がこわいんです。『あーあ』いう顔を、店中が一斉にする。ベテランが同じもん割ってもね、誰も顔を上げへん。『またやってるわ』で終わりですよ。……同じ音がしとるんです。同じ割れ方や。ちゃうのは、こっちの見る目のほうでね。……で、たいていの子は、そこで辞める。辞めた子のことを、店は『向いてへんかったんやろ』て言うんです。ほんまは、こっちが見すぎとっただけかもしれんのになぁ。

上岡龍太郎 上岡龍太郎

その通りです。ただ僕はね、もう一つ足しときたいことがある。今度、女の審判を五人も入れたのは、平等がどうこういう綺麗な話やないんですよ。なり手が、おらんのです。暑い、金にならん、怒鳴られる。誰がやりますか。人手が足らんようになって、初めて扉が開くんです。世の中の門いうのはね、思想で開いたことは一遍もない。全部、人手不足で開くんですよ。女の人が働きに出たのも、外国の人がコンビニに立ってるのも、理屈は全部おんなじです。せやから僕は、今度のことを『時代が変わりました』いう綺麗な言葉でまとめるのは好かんのです。変わったんやない、追い詰められたんです。……ただしね、追い詰められて開いた扉でも、開いたら開いたなんですよ。あとは、そこを通った人間が何年続けるか。話はそれだけです。決まってるんです。

中島らも 中島らも

追い詰められて開いた扉、な。……ええこと言うわ、上さん。まぁ、あの人が来年もおんなじ場所に立って、その時に誰ももう『初の』と言わんようになってたら、それがいちばんええんちゃうかな。……ほんで、その頃には二部制も当たり前になって、『昔は昼のいちばん暑い時間に、子供に野球さしとったんやで』言うたら、若いのが気味悪がるんやろな。……人間のやることは、たいていそうやって、あとから見たら阿呆に見えるようにできとるんですよ。俺の飲み方も含めてな。知らんけどな。

初めての夏は、うまくやることより、無事に終わることで精一杯だ。それでも、次の夏は来る。

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